野部縁切り地蔵尊なんてのがある【たつの市神岡町野部】


たつの市神岡町野部に野部縁切り地蔵尊があった。こちら↓
野部縁切り地蔵尊なんてのがある【たつの市神岡町野部】
通りから入った静かなところに、ひっそりとありました。

野部縁切り地蔵尊なんてのがある【たつの市神岡町野部】
靴を脱いで上がるようになっていて、壁には、男女の縁切などが書かれた紙や封書が画鋲でとめられています。

看板:野部縁切り地蔵尊なんてのがある【たつの市神岡町野部】
県道724号線沿いに「野部縁切り地蔵尊」の看板が上がっています。
看板には、

縁結びの神様やお地蔵さんは各地にあるが、男女の悪縁や競馬などの賭け事、酒などの縁を切るというお地蔵さんは、珍しいと言える。
縁切り地蔵の由来は、元禄年間(1688~1704)、鳥取藩の若侍が町人の娘と恋仲になった。階級制度の厳しい封建時代にはかなわぬ恋であった。娘との絆を断ち切るために、江戸勤番を願い出て藩主のお供として、鳥取を出発した。娘は男恋しさから行列の後を追った。美作街道の千本宿(たつの市新宮町)に着いた時に、若侍は同僚から注意され、娘に「鳥取に帰るよう」と諭したが、娘は聞き入れず、五月二十四日も行列を追った。市野保(たつの市神岡町) まで来たとき、同僚が笑うので後を振り返ると、娘が若侍を追って来たため逆上し、娘を切り殺した。
若侍は自分の行為を慚愧(ざんき)し、延べで松の木の下で切腹して果てた。 通りかかった野部の村人に、「亡魂ここに留まり、私のような悪縁に悩む人々を救う」と遺言した。村人は若侍の死を哀れみ五輪塔を建立して、毎年五月二十四日の命日に供養をしてきた。若侍の遺言通り「悪縁を切る」の霊験あら高さに、村人は明治初年、地蔵を勧請(かんじょう)して祀ってきた。
縁切りの願いをかける方法は、男女の悪縁の場合、相手の履物の緒を切って供えるか、持ち物を壊して供える。麻雀でははいを壊して供え、酒の場合は杯を割って供えると、効果があると言い伝えている。 龍野史談会

 

西行き:野部縁切り地蔵尊なんてのがある【たつの市神岡町野部】
西に行くと、東觜崎方面。

東行き:野部縁切り地蔵尊なんてのがある【たつの市神岡町野部】
国道29号線に接続する神岡町追分交差点方面。

地図でいうとココ↓


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